index < 日誌 <v. 夢の中。<18-74「自意識」 |
あるのは気まぐれや思い込みの主観性だけで、これでは自分自身というのを握りしめることが出来ないのである。自己の一体性・同一性といったものがどこかで切断されていて、自分自身といったものが見えなくなって、どうしょうもなくなっている。本人自身が見つからないのだから解決のしようがないのである。 まさにこうした状況が夢の中の世界であり、権威にすがるテレビと新聞の世界であり、そして自分自身が手間ヒマかけずに得ようとしたものの正体なのである。そのようにして得るものが大きいほど、自分にとっての失うものも大きいのである。 そして深刻なのは、だれもそのことに気づいていないということである。あるいは、知らぬふり、見て見ぬふりをしているということである。だれかがツケを払わされる。そしてこのことだけは、だれもがそれを拒絶している。 自分自身といったもの、自己認識といったものが常に自分たちの外の世界に向けられていて、つまり、海をへだてた大陸を通して自分を見ていたのであって、それが自分の内部、個人としての自分自身に対して向けられる、といったことがなかったのである。 こうした世界での自分とは、島の中で共に生きている「自分たち」のことであって、個人が集団の中で理没し消し去られている。個人として自分で自分のタマシイを省みることがなかったのである。だからまたそれが、気まぐれや思いつきの主観性から抜け出ることができず、自分自身の客観的な普遍性を自覚することがなかったのである。 |
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