index < 日誌 < 2018 < 8-「かすみ」と「ぼやける」。 |
しかし、まぼろしは、 始めから最後までぼやけたままだ。 だからまぼろしなのだ。 まぼろしは、現実にないものを見ているのだ。 空想と観念の、頭の中だけでイメージ化され、 だから現実に出てくることはない。 たとえ見えていても、やはりそれは現実にないものを 見たと勘違いして誤解しているのである。 それは、おぼろげな記憶の世界を見ているのである。 意識されることのない、 無意識の世界を見ているのである。この点で、 かすむというのとは、まったく異なっている。 かすむというのは、すでに現実にあるものが、 見えなくなって行くのである。 例えば、霧が晴れるとか、夜が明けるとともに、 かすみの中から、 現実が浮かび上がってくるのである。 それとか頭の中で何かの衝撃があって、 それで目の前がかすんだりするのもそうである。 つまり、現実にあるものと、 それを見る者との間に何かがあって、 それが人間をして、見えなくしたり、 見えたりさせているのである。 そういう意味では、「かすむ」というのは、 物理的な不具合といえる。だとすると、 「ぼやける」とは、観念的な不具合ともいえる。 意識が先行していて、現実の物理的な 感覚というのが後回しになっているのである。 |