index < 日誌 < k 思い込み。< 18-80「理想社会」 |
内面と外面、心と現実との境界がなくなって、自分というというのがボヤけて見えなくなった状態。そしてそれが、自分を意識する肉体の感覚にも現れている。 見るもの、聞くもの、触れるもの、。すべてがそうである。食べもの、住居、テレビドラマ、冠婚葬祭・・・等々すべてがそうである。均質化し個性がなくなって限りなく象徴的になっている。正確にいうと象徴だけである。 実体はどうでもよいオマケである。象徴だけで十分であり、大衆は象徴だけを欲している。それ以外の面倒なこと、わずらわしいことはだれものぞまないのである。中身と内容がなくなって形式的な外面だけが現実を支配している。 体裁と外面はすべてそろっていて立派であるが、実体といったものが限りなく空洞化してカラッポになっている。原因は個性が無いのである。生きている感じがしないのである。現実に具体性が欠けているのである。 価値基準やその評価といったものが、限りなく定型化・規格化され共通化している。そしてランク付けされる。個性を消すからランク付け出来るのである。またそれが大衆にとってもっともわかりやすい評価方法であり、価値の基準であり、内容と思われている。 |
index < 日誌 < k 思い込み。< 18-80「理想社会」