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4、理由。



だから結論としていえるのは、自己意識というのが確かにあるのではあるが、ただそれが限りなくあいまいで、ぼんやりしていて、つかみどころのない非常にぼやけたものになっているということである。ここでもまた、自意識というのが外面と形式だけのものになっていて、内面を伴わない空洞化したものになっている。

しかし、それにしても、なぜいつもそうなのか?
外面の体裁だけでものの良し悪しがいつも勝手に判断されて、内実としての内面がどうしていつもないがしろにされるのだろうか?それはつまり、私たちというのがそして日本というのが、恵まれ過ぎているからではないだろうか。

自由といったもの、創造性や自己実現、アイデンティティーや自己の存在理由といったもの。そうした自分のすべてが、自分に属するすべてのことが他人から与えられ押し付けられている。

この他人とは日本という共同体の意志であり、オキテとしての上下関係の絶対的強制力なのである。それが自分を含む誰もがみな望むことなのである。自分というのが消えたところにある、「みんな」という仲間の意志なのである。


戻る。               続く。

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