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3、迷信。



自分というのが他人と比(くら)べられ、比べられることによって自分がなりたっている。現実の日本社会がそうであり、自分自身の考え方もまたそれを前提になりたっている。そして、だれもそれに疑問を抱くこともないし、それが常識と習慣となっている。

何も考えることも悩むこともない、それがあまりに当たり前のごく普通の日常なのである。私たちはそうした世界を生きている。そして、そのなかで自分を意識し自覚しているのである。だからまた、自分というのが限りなく見失われていって当然なのである。自分が見えない。

確かに自意識はあるし、その自覚も認識もあると思ってもいるし、そう信じて確信もしている。しかし、実際にはそうした場面がないというのが現実である。そうしたきっかけとか、場面となるものが現実の世界にないのである。

ただたんに自分というのが、何か勘違いしてそう信じているだけなのである。自分は自分をしっかりと握りしめていると確信している。だがしかし、必ずしもそうだとは言えないのである。本人がそう信じていることと客観的な現実は別の世界なのである。

もしも、これが自由だといって与えられ、これがあなたの自己意識だといって教えられ、これがあなたの創造と自己実現の場であるとして保障されるとすると、それはもはや自由でも、創造でも、自己意識でもない。

それはもはや偽善であり、欺瞞であり、まやかしであり、迷信というものである。それは、人間の本質に反するものであり、自分を押し殺し窒息させるものでしかない。つまり、言いたかったのはこのことであり、これがまさしく今の日本の現状だということである。


戻る。               続く。

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