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自分というのが見つけられず、見失ってしまったことに自分も気づかないまま、思考というものが停止し、封印されてしまったのである。生きている自分というのが表明もされず、意識されることもない、シキタリと習慣だけの世界になってしまう。まるで、パブロフの条件反射の犬のように。無意識の生理的欲求だけの世界になってしまう。 考えることも、悩みも苦悩もない。ただたんに、だれか他人から何かを与えられ続けられるだけの人間になってしまう。どこかで自分というのを喪失しているのである。自分自身の一体性が破壊されて、自分が自分で無くなっているのである。日本の格言でいうところの、「私は他人様によって活かされている」とは、このことなのである。 だからこのような状態では何を聞いても、見ても、それは実体を欠いたうつろな空想であるとしか言いようがないのである。現実を見失ったタマシイといったものが、むなしくうつろな世界をさ迷っているに過ぎないのである。これでは何も見えないし、何も解決されない。だからやはりそれは、間違っているとしか言いようがないのである。 |
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