index < 日誌 < 自意識、 < 「見えないもの」 p11 |
しかしまた反面、ほかの言い方をすれば、そしてまた、もっとも気になる言い方をすれば、この普段よく見えなもの、気づかないもの、あるいは見えにくく隠されているものの中にこそ、システムの輪郭とその限界と境界といったものがよく表現されていると思えてくる。現実に見えるものよりも、見えないものの方に興味をそそられるのである。気になって仕方がないし、どうしょうもないのである。本能的に、無意識のうちに導かれ誘われてしまうのである。ひき込まれ吸い込まれてゆく。 それと気づかないまま知らぬ間に入り込んでいて、出口への逃げ道を見失いそうになっているのである。そうした危険な状態もままあるのである。こうしたことは夢にも、そしてまた、無意識の感覚の中にもよく現れてくるのであるが、それがいったい何のことなのか自覚されることがないのである。ただただわずらわしく、うっとうしいだけの、感覚の障害やノイズとして感じらるだけなのである。本能的に避けているのである。 精神の矛盾、壊れそうな精神といったものが、夢のなかで、そしてまた生活のなかで、なにか非現実的な感覚として現れてくるのである。つまりそれは暗示であり、示唆であり、無言の誘導であり、なにかの予感やきざしといったものである。なにか言い知れぬおびえや不安、恐れ、そして祈り、あるいは、あこがれといったものとして感じられているのである。 |
index < 日誌 < 自意識、 < 「見えないもの」 p11