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2、主体。



「世界史は、世界精神の理性的かつ必然的なあゆみである(ヘーゲル)」

  こうした考えは、思い込みと主観と偏見である。だがしかし、そう思い込むことによってのみ、世界史は人間にとって理解できるものとなる。内的関連性や秩序、原理といったものが見えてくる。こうしたことが理性なのである。

  そしてそれは、主観と客観との対立であって、思いこみの主観によって始まり、そしてそれを客観的に理解しようとしている。

  さまざまな主観を出来るだけ集めてきて、それを全体として平均化したのが客観であり、この客観を無限に細分化して全体から切り離したのが主観である。

  それは、主観と客観、精神と肉体、個と集団との対立であり、区別であり、矛盾なのである。しかし、それが意識されるのは、自己意識がその前提としてあって、その主体の存在を暗示している。

  そしてこの矛盾を橋渡しし、交流させ関連付け統合するのが、まさしく理性なのである。それは、法則とか原理といったもので自然とは別の世界、つまり、人間の意識の中にのみ存在するものである。

  こうやって、精神と肉体、意識と自然、精神の内的世界と現実の外の世界が区別され、意識が独立して純粋意識となる。意識が意識を意識する主体となる。こうやって始めて自然は人間のものとなり、人間は自分を意識する。意識する主体となる。

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