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夜の霧のなかであれば、電燈に照らし出された人影が、まるで闇の中から浮かんでくるように見える。濃い灰色の背景の中から人間が薄い影となって現れてくる。 朝の霧のなかでは、それはむしろシルエットであり、明るく照らし出された幻のようにも見える。その表情には陰影の濃淡がなく、地面に落とす影もない。霧が影をさえぎっている。そして光はどこからでも入ってきて人間を照らしている。 人間と物との間で、霧が朝の強い光を乱反射して、光はすべての角度から人間を映しだす。だから地面に落とす影もなく、風景の陰影に方向性がなく、むしろ風景そのものが光源となっている。または、光源の中に風景があるような印象を受ける。何もかもが外に向かって、だれに対しても自分を開いている。 それはまるで、西洋のエデンの園、東洋の桃源郷のように思えてくる。陰(かげ)がなく、人間の内面のかげりとか、わだかまりがなく、だれに対しても開いていて、まねき、ほほえみ、誘い、いざなっている。優しく何もかも包み込んでいる。おだやかに誰彼見境いなく開いて、招き入れている。 自分と他人をへだてるものは何もない。親しく、優しく、おだやかに入って来て、そしてまじわっている。そして、いつでも開いていて、心を突き刺したり、こばんだり、へだてたりするものが何もないのである。 それは春の早朝の乱反射をくりかえす明るい霧の中の風景である。なにもかもが何のかげりもなく、あらわに、ありのままで外に開き、そして映しだされる。そして、それをさえぎったり隔てたりするものが何もない世界なのである。 |