index < 日誌 < 2018 < 9-「種の根源」 |
これは目を閉じたままの、自分でも意識されることのない、夢の世界に例えることが出来る。あるいは、何も見えることのない、暗く閉じた光のない世界がそうである。 あるのは、無意識の自分でもわけのわからない、自分自身の精神の世界を見ているのである。孤立し閉じた囲いの中の、得体の知れない自分自身のたましいの世界を見ている。そして、それでもそこから何かが見えると思えてくるのは、自分自身の内面世界を見ているのである。 数千数万、あるいは数億年にも渡って経験され、記憶し蓄積されて行って、そしてそうやって、身体のカタチや構造、あるいは感覚の感じ方として固定されてきた、自分自身の中にある、自分でも意識されることのない、無意識の記憶の世界を見ているのである。 もちろん、それは実際に自分が経験したものでないのかも知れない。しかし、自分の身体の現実のカタチが、カタチ作られて来たところの、数千数万年にも及ぶ「種の歴史」といったものが、自分自身の身体のカタチとして残されてきたのであって、また、その結果が現在ここにいる自分自身の現実の姿となっているのである。 すなわち自分とは、まさしくこのことを言っているのである。「種」としてのながい歴史の結果というのが、自分自身の現実の物理的な空間を作り出しているのである。そして、そうしたことが自分自身の身体の中にあって、そしてそれが現実の世界に現れ出て来ているのである。 |