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朝でも夜でも霧の中から人が見えるときは、先に人の姿の表面を明るさの濃淡として映し出す。人の姿の表面だけが見えて来て、そのまわりの輪郭は最後までハッキリ見えない。たとえば、その顔とか服といった表面はよく見えるのであるが、それと背景との境界線、輪郭がはっきりしない。ボヤケて、かすんだままなのである。 また背景は、始めから最後まで何も見えない。もちろん、これが霧が弱くなった、霞(カスミ)であれば、遠くの景色も、仄かに薄くかすんで見える。 たしかに輪郭がボヤケているのであるが、それは目の焦点距離のあいまいさからくるボヤケ方とは全然違っている。目の水晶体(レンズ)の焦点距離とは無関係に、霧がものの輪郭をぼかしているのである。ボヤケているというよりも、正確には、霧の中でかすんでよく見えない、ということなのである。 霧の風景に見る、朝方の白く明るい背景。そしてまた、夜の暗い闇の風景。 これを目を閉じて夢の中で見ていると、マブしくてたまらず、そうやって、夢の世界から目覚めるときが、白い背景の現実の世界である。太陽の光がまぶしい昼の世界である。一瞬であるが、世界全体を強烈な明るさの、白いフィルターを通して見るような世界である。 そして、夜の暗くて何も見えない世界から、薄灰色のシルエットが人影となって見えてくるというのが、目ざめることのない夢の中の世界なのである。それは、夢と現実、潜在と顕在、外と内、精神と肉体が行きかい、錯綜し、乱れて入り混じる、混沌の世界である。 |
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