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しかし、夢の中ではこれと反対の見え方をすることがある。なによりも、自分がなにを見ていて、何を見ようとし、それをどのように見えているのか自分でもわからない場合である。にもかかわらず見えているし、気もになるし、見なければと思えてくるのである。 それが何なのか自分でもわからないのに、気になって仕方がないし、目をそらすことが出来ず引き込まれ、吸い込まれてゆくのである。どこかで意識がさめていて、無意識のうちに何かを求め、願い、意図し、目指しているのである。 しかしそれが何なのか自分でもわからず、見つめ、問い続けているのである。そうするしかないのである。つまり、自分の中にある何かの衝動がイメージとなって表れ出ようとしてしているのであるが、自分でもその衝動が何なのか分からないのである。わからないからイメージになりようがないのであるが、それでも何らかのイメージを求めてさ迷い続けているのである。 だから、このような夢のなかでは、自分が何を見ているのか自分でもわからないのである。はじめそれは、人のカゲのようなものとして見える。そしてそれが誰なのかと気になり、目を見る。でもその目はいつもカゲのなかにあって、いくら目をこらしてもよく見えず、結局だれかわからずに終わる。それが夢の中、自分の無意識の世界が作り出した映像なのである。 |
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