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2、痕跡。



感情や情緒、そして感覚の生理作用の中に、祖先の記憶が何らかの記憶の痕跡として残っていなければならないのである。実際にあった現実の出来事ではなくて、意識されることのない感覚の、肉体の生理作用としての記憶なのである。それが感覚や生理作用の衝撃としてよみがえってくるのである。

自分の経験にない祖先の記憶といったもの、正確には祖先の感覚の感じ方や、そのリズムといったものが、自分の感覚の中に入り込んでいるのである。「気のせい」とか、「気配い」とか、なにかの暗示や象徴といったものがそれである。自分でも気づかないまま、身体の生理作用とそのリズムとして働いているのである。それへと向けられ導かれているのである。

自分が生きている現実の、見える物のカタチや模様のなかに、自分自身の精神の世界を見ているのである。かつてこの地を生きて来た祖先のタマシイの世界を見ているのである。それは現実そのものではなくて、その見え方・感じ方として自分に見えてくるのである。

自分で自分の感じ方を見ているのである。自分の感覚の感じ方を見ているのである。祖先が生きて来た遠い過去の世界、そして自分の肉体や感覚が形成されて来た、過去の記憶の痕跡を、自分の感覚の中に見ているのである。

自分自身のなかにあって、自分自身を支配し動かしている。そして同時に自分でもどうにもならない、そうした自分自身の、衝動や本能の世界のを見ているのである。

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