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しかしまた、そうした無意識の世界もまた、たしかに記憶なのである。おぼろげでボンヤリした、不明瞭で不可解な、得体の知れないものであっても、やはり、記憶としか言いようのないものなのである。 何の現実の裏付けもなく、理由もないのに、それでも確かになにかの記憶なのであって、言い知れぬ気配いや予感といったものを感じるのであって、それを思い出すようにいやが上にも迫ってくるのである。暗示や象徴といったものがそれである。 制約し、指向し、方向づけて、むりやり追い立ててくるのである。それしかないように仕向けてくるのである。それは、自分のなかの肉体の記憶なのであって、自分自身の根源的な存在理由なのである。 そうしたことが、外の「空気」を透かして、身体内部から押し出されてくるのである。 |