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特定されるというのは、その方向なのであって、しかしまた、その実際のあり様といったものは、だれもこれを予測できるものではないのであって、従って、これをもって個性とか固有の特性だと言っているのである。それは誰にとっても預かり知らない個人の問題であって、誰も特定したり予見したり出来るものではないのである。 しかしまた、おおまかな方向や傾向といったものは、あらかじめ予測できるのであって、これが「特定できる」という意味なのである。それは、その人間が生きている現実の条件やシステムを知ることによって、その下で生きている人間の方向と行き着く先を、あらかじめ予測できるのと同じなのである。 それは、歴史と社会全体としての傾向と方向を予測したものであって、個人の個別具体的なことまで予測したものではないのである。また、そうしたことまで予測できるものでもないのである。そうして、このような意味の限りにおいて、これを「特定できる」と言っているのである。 それは社会的・歴史的な意味でそうなのであって、またその意味で、個人の個別的・実践的なことについては知らないし、知りようがないのであって、それを予測したり確定したりすることが出来ない、という意味でそうなのである。 |