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こうしたことは地政学的にみることができる。たとえば日本のような列島、韓国のような半島、そして中国大陸と区別して考えることができる。あるいはまた、それらに挟まれて行き場をなくした北朝鮮や中国東北部を見れば明らかである。北朝鮮人の変に偏って凝り固まった意固地な性格といったものが、そうなのである。 これは、日本や中国のように地政学的に条件づけられてそうなったというよりも、むしろそれに反発し、それに対抗してそうなったものなのである。すなわち、どうでもよいのである。ただ偏固でありさえすれば、それでよいのである。そうでないと自分が誰なのか分からなくなるのである。 そして同時に自分は中国人にも日本人にも韓国人にもなれないのである。もともとそれらとは別の人間なのである。そうであるにもかかわらず、自分を特徴づけるものが何もないのである。そうして、「自分」というのを見失いそうになるのである。 だからまた、編固であるというただそれだけが、自分が自分であるという証明にならざるを得ないのである。だから理由も目的などもどうでもよくて、ただ、中国人でも日本人でもなければ、ただそれだけで十分で、それだけがすべてとなっているのである。 |