index< 日誌 < as同一性 < 19-009「付録、空気」p4- |
このような北朝鮮を取り巻く状況、このような自分が拠って立つ立場といったものが、いやが上にも北朝鮮人をして、偏固で意固地な性格を作り出しているのである。そして、ただそれだけが北朝鮮をして、自分を自分たらしめているのである。 そして実は、これを失えば、それはもはや人間ではないのである。人間であるとは、誰も見なさないのである。訳の分からない正体不明の、国民でも民族でも人間でもない、この世に存在せず居るはずのない者、そうした人間とは見なされない存在なのである。 国家やその法律の枠外の人間。そうしたどうでもよく、何をやってもよく、何をしても許される、また、そうでなければならず、そうであるはずの、救いようのない者、人間とは見なされない人間社会の外の存在。それはもはや人間ではないのである。主権を持たない人間、法律の枠外の人間と見なされる。 だから何をやってもよいのである。どんなことをしても、だれからも咎(とが)められるということがないのである。だから何をしても許されるのである。まったくの無抵抗だからこそ、際限なく陥れられるのである。 そうして私たちは、そのようにシツケられ教育されてきたのである。それが私たちにとっての常識であり、規範であり、最低限の守らなければならない当然の習慣のように教えられてきたのである。国家や国民、そして法律という考え方がそうなのである。 |