index< 日誌 < as同一性 < 19-009「付録、空気」p4- |
北朝鮮人は北朝鮮人である。中国人にも日本人にも韓国人にもなれないということである。また、無理してそうであろうとしたところで、中国人にも日本人にも韓国人からも、そうとは見なされないということである。 それは、明け透けに言うと、「人間とは見なされない」ということである。実際に、そして現実的にも歴史的にもそうなのである。人間として扱われないのである。主権がある人間として見なされないということである。 隷属と屈従、迫害と蔑みだけが彼ら彼女らに認められ用意された生き方なのである。それが政府から許された彼ら彼女らの居場所なのである。戦時中占領下のポーランド、ソ連のチェチェン、中国のチベットがまさしくそうなのである。数え上げればキリがない。ユダヤ人がそうであるし、アルメニアがそうであった。 これは被害妄想でも誇大妄想でもなく、人間の歴史全体が有史以来ずっとそうであり続けたのである。それはまた、やはり現在でもそうなのである。そして正しくこれが人間の社会なのである。そして私たちは今もそうした世界を生きている。 だから北朝鮮は、ああまでしても周りの世界に対して激しい憎しみと憤り、敵愾心を抱き続けるのである。周りの世界というのが、タマシイを見失った亡者たちの世界のように思えて来て、そしてそれに対する対抗意識をむき出しにするのである。 |