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「いさぎよい」というのが、日本の気質であったからこそ、またそれが必要なことであったからこそ、それが日本の気質として今日まで残り続けたのである。 とはいっても、歴史は、それを見る人の立場や都合によって常に変化している。歴史の解釈もそうであるし、その現実の証拠としての遺物や古文書についてもそうである。過去の物的証拠というのは、研究者が求め望むものだけが集められ、取り上げられてきたのである。 つまり、経済的余裕があって、さらにそうした自分たちを支える社会の思想的根拠というものを、歴史に求めてきたのである。つまり、自己の正当化であり、また大多数の大衆もまたそれを求めたのである。世間から認められるというのは、このことなのである。 これが現実の社会であり、歴史の認識なのである。自分に安心と安全と平穏ともたらしてくれる、そうした自己に対する正当性と根拠を歴史に求めているのである。 自分が、ずっと自分であり続ける、そうした永遠に変わることのない平和な現実を求めているのである。社会全体がそれを求めてもいるし、またそうしたことだけが誰からも支持されるし、求められもしていて、そうして思想や制度もそれに基づいて組立てられる。つまり、とっても怪しいのである。そうした意味で「歴史」とは、集団的偏見と思い込みの世界なのである。 |