index< 日誌 <  z自意識 < 19-018「個人」p7-

 
1、きっかけ。


個人というのが存在しない社会にあっては、自己意識というのは理解されず、意識されることもない。自分で自分をかえりみるといった事がなく、またそうした自意識は不要であり、あってはならない考えであり、心情なのである。

それは、集団という社会の秩序と存続を破壊するものでしかないのである。このような社会といったものが、自己意識を排除するのを必要としたということである。近代以前の人間の社会がそうである。

しかしまた、自分で自分をかえりみるといったところに、科学や理性の発展の可能性があるのであって、人間が自分で自分を意識するというところ、そうした必要やキッカケ、瞬間こそが、人間が自分を個人として自覚する場面なのである。

このような、現実から断絶した自己の内的世界においてこそ、純粋な抽象化が起こり得るのであって、科学もまた純粋な、科学のための科学として成立し得るのである。



履歴へ                     続く。

index < 日誌 index< 日誌 <  z自意識 < 19-018「個人」p7-