index< 日誌 < c信じるもの < 19-019「だれに対して?」p2- |
だからそれは「形式的」である。ある定められた秩序とパターンの様式、そして固有の原理の上に成り立つものなのである。しかしまた、そうだとすると、感情もまたそうなのである。感情もまた、固有の秩序と独自のパターンと原理を持っているのである。 ではいったいどこが違うのか? 感情と論理とはいったいどこが違うのか。つまるところ、「論理的」というのは無機質なのである。形式的であって、そしてまた、「形式」だけなのである。 個人的な主観や、気ままな思い込みが入ってくる余地がないのである。それらとは別の「形式」だけなのである。中身を欠いた法律がそうであり、論理がそうであり、しかしまた、だからこそだれに対しても客観的で公平であり得るのである。 つまり、その「だれに対して?」というのが欠落しているのである。相手が存在しないということが、つまり、自分自身に対してというところが、純粋で普遍的なのである。すなわち、これが自己意識なのである。 |