index< 日誌 < am種 < 19-024「続、肉体の記憶」p4- |
そしてこれが、自分自身の感覚の「感じ方」なのであり、作法や習慣として今も残っている存在の仕方なのである。そしてより直接的には、自分自身の無意識の世界の中で押し寄せてくる、得体の知れない気配いや、自分でも理解不可能な、不可解で不思議な自分自身の感覚の「感じ方」の世界なのである。 そしてそれが、つまり、自分自身のなかの「失われた記憶」の証拠なのである。そして、これがもっとも直接的で確かな自分自身の証明なのであり、根源ともなっているのである。 「自分が自分でなくなる」という恐ろしい話は、反面、ある意味で事実なのであって、そうやって自分というのが変化して行くのである。いまある自分を失い、元に戻って行って、再び新たね世界へと自分を形成して行くのである。 しかしまた、戻って行ったところに何もなければ、それはそれでもう終わりなのである。だからまた、それは不可解で不思議な未知なものでなければならないのである。自分のことなのに、自分でも知らない世界なのである。 このような現実、あるいは背景や条件となっているのは、自分のなかで失われていた、自分自身の肉体の感覚だけが知る、無意識の世界の記憶なのである。そしてこれが自分なのであり、自分の存在理由であり、意味なのである。 |