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6、理由。


自分で自分に問いかけたり反省しているのではないのである。仮に本人がそう思い込んでいるとしても、それは他人との関係で自分を見てそう思い込んでいるのであって、自分で自分を見ているのではないのである。また、そもそもそれと感じることができる人間のタイプではないのである。

むしろ、たいていの場合、それは、自己意識そのものが始めから欠落しているのであって、真に本当の意味で自分の良心を感じているのではないのである。自己意識のないところに自分の良心の居場所などないのである。それは他人との関係でそう思い込み、また、そう思い込まされているだけなのである。

それは自分自身の中から出てきたものではないのである。精神の内面は、そのように出来ていないのである。これは本人の宗教や信仰の問題であって、またそれ以前に、本人の自意識とアイデンティティーのことをいっているのである。自分自身の存在理由のことを言っているのである。そして、それが欠落しているということなのである。


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