index< 日誌 <  am種 < 19-026「観念の世界①裂け目」p6-

 
5、よりどころ。


あるいは、それを自分の良心であると思い込んでいるのである。まわりとの関係で、その中での自分の立場と体面を、自分の良心と言っているのであって、必ずしも自分自身の内面的な自意識のことを言っているのではないのである。そして、このような自分がいないところで、それが自分の良心であると思い込んで勘違いしているのである。

フツーの大多数の中間層がそうである。また、だからこそ、それが中間層なのである。当たり障りのない大多数の「丸い人間」なのである。統治しやすく従順で辛抱強い、そうした社会の中間層なのである。またこのような中間層が社会全体を支えているのである。

そしてまた、だれもが自分も中間層であろうするのである。はじっこでも隅っこでもなく、上でも下でもなく、囲いに保護されたフツーの大多数の多数派であろうとするのである。自分が多数派の中に居ることが、もっとも安全で安心できる居場所のように思えてくるのである。自分の精神の拠り所といったものを、自分自身の中にではなくて、集団という他者の中に求める限り、そうならざるを得ないのである。


戻る。                    続く。

index < 日誌 index< 日誌 <  am種 < 19-026「観念の世界①裂け目」p6-