index< 日誌 < am種 < 19-027「観念の世界Aオリジナル」p3- |
国家による主権の保護のない人間とは、要するに人間ではないのであって、だれもそれに逆らえないのであって、そして人間として扱われることがない、ということなのである。 またそうした意味で、黄色人種であろうと白人・黒人であろうと、そしてまた、フランス人・ドイツ人であろうと、日本人や中国人であろうと、そんなことには全くお構いなく、そこの主権、すなわちそこの国民として生きて行くしかない、生きて行かなければならない、そうしてのみ生きて行くことができる、という意味でそうなのである。 もちろんグローバルなビジネスマンや外交官は別である。なぜなら、彼らの後ろには、彼らの母国による保護があって、またその保護の下で活動しているのである。また、そうしてのみ活動できるし、生きて行くこともできるのである。 逆に言うならば、このような国家による主権の保護がなければ、ビジネスマンであろうと外交官であろうと、だれにも相手にされずに袋叩きに合うだけだということである。 たとえば戦時中占領下のポーランド、終戦直後のドイツや日本がそうであったようにである。あるいはまた、ジプシー、ユダヤ人、アルメニア人、昔のアフリカ系アメリカ人がそうであったようにである。これはどこでもいつでも、広く一般的かつ公然と行われてきたことである。いまもそうである。 |