index< 日誌 < am種 < 19-030「観念の世界D識別」P3- |
たとえば、本国の主権の保護の下で、外国で働く外交官やビジネスマン。彼らは現地の人間とどこか違っていて当然であり、また、だから保護が必要なのであって、そしてその下で働くことが許されているのである。 しかし、そうでないにもかかわらず、そこで生きなければならない人間。それは、たとえ不本意であっても、それは本人が選ぶことが出来ないことである。そこで生まれてしまった人間、そうした周りとどこか違う人間もたくさん居るのである。 目の色や肌の色が違う、マナーや習慣・常識が違う、また表面上は見えにくいけれども宗教が違うといった場合、あるいはより直接的に、本人の身体的特徴が違うといった、身体の外見的特徴が変わっている場合もある。これは誰にもひと目でわかることである。そして、こうしたことが「まわりと違う」ということなのである。そしてまた、だからそれは排除されるのである。それは、「自分たち」でないヨソ者なのである。 |