index< 日誌 < am種 < 19-030「観念の世界D識別」P3- |
また、だからこそ、それが利用されるのである。「排除」が正義であって、それがだれにとっても必要なことのように思えてくるし、また、そのように思わせる者がだれからも支持され、そして周りに対して優位な立場に立てるのである。 だからまたそれは、まわりと違う者を排除しようとするのであって、またもしも、みんなと「違う者」がそこに居なければ、作り出さなければならないのである。そうやってみんなが安心するし、納得もするのである。そうであるはずだし、そうでなければならないと思い込むことができるのである。 これは実際そうなのであって、景気の良い時はユダヤ人や華僑はチヤホヤされるが、景気が悪くなると真っ先にフクロだたきに(殺害)される。これは周期的にくり返されてきた「年中行事」のようなものである。 またそれは、ユダヤ人や華僑に限らず、障害者や少数民族、同性愛者、社会的弱者や少数派に対しても、やはりそうであり続けてたのである。いまもそうである。無意識の潜在的な記憶の奥底に、なにかの痕跡やその陰のように、まとわりついて残りつづけていて、そしてそれが、なにかのハズミやキッカケで再び浮かび上がってくるのである。 |