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1、安心。


排除しなしなければならないのである。排除すること自体が、自分がそうした「違う者」ではないという証明になるのであって、そして同時にそれらよりも自分が上なのだという、上下の関係を作り出すことができるのである。そしてまた、それが常識なのであり、秩序として自分を安心させてもくれるのである。そして自分に居場所と立場を与えてくれるのである

秩序は迷ったり、ためらったりしてはならないのである。そうして自分というのが、「自分たち」という囲いの中の住人になることができるのである。そうして自分というのが「自分たち」として認められるのである。

自分たちとは、その群れの趨勢を決める主要な多数派のことであって、標準的で一般的な共通の者という意味である。つまり、これがフツーの、そして中間の人間なのである。そうしたことが集団の中での自分の立ち位置といったものを保証してくれるのである。

端っこでも隅に居るのでもなく、上でも下でもなく、そうしたもっとも安全で安心できる立場にいる、そうした大多数の人間のことなのである。たとえ浮いても沈んでも、いつも周りのみんなと同じという意味でそうなのである。それが自分を安心させてくれるし、またそうしたことが自分の自意識になっているのである。


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