index< 日誌 <  am種 < 19-031「観念の世界E排除」P6-

 
2、よそ者。


だからまた、そうした意味でも、どこか自分たちとは違う異質な者が必要なのであって、また、そうしてのみ、自分が自分たり得るのである。というのは、自分というのが始めからなくて、自分たちという集団の一部分として自分を捉(とら)えているのである。

あるいは、集団の一部分としてしか捉えられないでいるのである。そうした自分自身というのが存在しない世界である。そうしてのみ、成り立つ世界なのである。そうである以上、自分というのがそのようにしか見えないのである。

だから、自分たちと「違う者」がどうしても必要なのである。それは自分が個人であるという自己意識のない世界にあっては、どうしても必要な、なくてはならない必須の条件となっているのである。

どこまで行っても底なしに孤立し、孤独な、そして自律した精神の持ち主であるという、そうした自立した「個人」というのが存在しない世界にあっては、そうならざるを得ないのである。


戻る。                    続く。

index < 日誌 index< 日誌 <  am種 < 19-031「観念の世界E排除」P6-