index< 日誌 < am種 < 19-031「観念の世界E排除」P6- |
自由で自律した個人など、こうした社会では居てはこまる存在なのである。そういうのが居るということ自体が、こうした社会の存立の基盤をあやゆくして行くのである。プライバシーや人権は、もともと集団主義とは別のものなのである。集団主義は個人の個性に基づいて成り立つはずのものなのであるが、それが無いのである。むしろ、個人を否定したところに、それが成り立っているのである。 個人主義は、こうした古くからの秩序や正義と相入れず、むしろそれを破壊するものなのである。何も考えずに、ただ周りに合わせて「上の者」に従うだけを正義とする、そうした前近代的な自意識を破壊して行くのである。そうした既存の自己の立場と居場所を破壊するものなのである。 そしてそれは、自分で自分を破壊することのように思えてくるのである。だからまた、そうした人間を見るとどうしても許せない、といったことが起こるのである。それは、個人というのを、集団の中でしか捉(とら)えることが出来ない、そうした人間のタイプなのである。 |