index< 日誌 < am種 < 19-033「観念の世界G新、排除」P5- |
これは、導きの糸、敷かれたレールとでもいったもので、それ以外になく、そうするしかなく、それだけが自分に残された唯一の生き方、許され、そして認められた生き方になっているのである。つまり、これが「システム」なのである。 自分のことを自分で生きて行けない以上、そうするしかないである。自分の考え、自己意識といったものがない以上、他の生き方というのが出来ないのである。出来ないように出来ているのである。そしてこれが、自分の自意識となっているのである。 そして、この自意識というのが自分であり、自分の拠りどころ、支え、証明なのであって、そしてまた、だからこそ、そこから離れて生きてゆくということが出来ないのである。自分が自分でなくなるように思えてくるのである。 そのようにしかならないのである。そして、それへと方向づけられ、導かれ、引きずり込まれてゆくのである。まるで、それしか無いようにである。それだけが自分の生きがいであり、自分が生きている印(しる)しのように思えてくるのである。 これが、人間が生きている世界なのである。現実とは、このような人間が生きている、生きることの出来る、そうした制約され条件づけられた「囲いの中」の世界なのである。人間は、このような現実を離れて生きて行くことが出来ず、そしてまた、こうした現実を私たちは「時代」と言っているのである。 |