index< 日誌 < am種 < 19-036「観念の世界J自己意識」p7- |
意識や思考の世界では完全に失われているにもかかわらず、肉体の記憶としてだけ残っている、そうした気配いや感触の記憶なのである。そうした意味不明で得体の知れない、不可解で気色の悪い気配いや感触の世界なのである。 そうした、いつもでもどこでも自分につきまとってくる、そうした、自分自身の中で営まれている、生理や神経の反射作用のことなのである。自分でもどうにもならない、自分自身の中の情緒や感情のリズムのことなのである。自分自身の肉体が自分の精神に交流を求めているのである。 生理や神経の反射作用が、それだけで意識から離れて独立し、それ自身で何か夢を見ているのである。なにかに反発し、抗議し、異議申し立てをしているのである。 あるいは心地よい情緒のリズムの中で、それに浸かりすがって迎合し、そして安住し、そして、いつまでもそうした状態が続くことを欲して願い、また、そうした自分の意味や理由といったものを探し求め、さ迷い続けているのである。そうした際限のない遊びをくり返し続けているのである。 |