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1、多数派。


こうした場合、だれも深く考えたりしないのである。普通の人は、だれもがやっていることをそのまま真似て見習い、行動するのである。すなわち、みんながやっていることを、そのまま自分もするのである。それがもっとも安全で安心な生き方なのである。

そして、この場合の「みんな」とは、多数派であるという意味である。当たり障りがなくて、そして誰もがそうであるという意味であって、だからまた、そうした自分は普通の中間層の人間だということである。上でも下でも端っこでもなくて、角がなくて丸い、そうした標準的で一般的な人間だということである。そうである限り、安全で安心だということである。

だからまた、集団の中で自分だけが仲間ハズレにされたり、陥れられたり、標的にされたりすることがない、という意味でそうなのである。言わば、ここでいう「みんな」というのは、つまり多数派であって、主流派だということである。

従ってまた、そうである限り、自分は不当な扱いを受けることがないという意味でそうなのである。その集団の中で、もっとも強そうな者の下にいる限り、自分もまた安全だということである。


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