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2、民主主義。


そして、これが民主主義なのである。すなわち、最大多数者による、最大多数者のための幸福を目指すのである。また、そうやって自分たちを最適化しているのである。それは、近代という規格化された大量生産の生活の様式が、人間に求めた生き方だったのである。

だからまた、ここでも少数者が排除され、踏みつけられたり、あるいは異物や不純の者、不適格者、規格外の者として扱われるのである。また、そうすることによって自分たちが多数派として存在出来るのである。そして、みんながそうであるから、それが正しいはずだという考え方が説得力を増して行く。また、そうした生き方が現れ出てきて、拡がってゆく。

そうした自分たちこそが「みんな」であって、従ってまた、自分たちが多数派なのである。そして「自分たち」こそが、そうした強い立場であることを実感できるし、行使できるし、またそうした有利で優位な立場であることを維持すると共に、持続して行くことができるのである。

言い換えると、それは、そうした弱い立場の人間の存在を前提としたもので、また、それを条件にしてのみ成り立つことができる、そうした立場であり、存在の仕方であり、生き方なのである。その感覚も、感じ方も、考え方も、またそうなのである。

そうした「上下の関係」の中に自分を見い出し、とらえていて、またそれが自分の拠りどころとなっているのである。存在の根拠となっているのである。


戻る。                   続く。

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