index< 日誌 < am種 < 19-040「観念の世界N信じる」p6- |
だからまた、だれもがそうでないもの、すなわち、自分たちと「違う者」を見つけて、あるいは作りだして、そしてこれを「排除」するという行為自体が、どうしても必要なのである。「違う者」がいるかどうかが問題なのではない。そうやって自分を確かめているのである。確かめることができるのである。だから、それはどうしても必要なことなのである。 「違う者」がいて、そしてそれを排除するという行為自体が、どうしても必要なのである。そうした生き方自体がどうしても必要で、求められていて、そしてこれが、その社会の安定と平和の基礎になっているのである。 それが自分たちであり、自分たちが求め願うものになっているのである。この社会の成り立ちの条件になっているのである。そうやって自分が、「自分たち」という仲間になるのである。 |