index< 日誌 < am種 < 19-040「観念の世界N信じる」p6- |
それは、自分で自分をのぞき込もうとしているのであって、自分を、自分の外から見ているのである。それは、自分の中に住む他人なのであって、そうしたことを意識すること自体が、人間にとってみれば恐ろしいころなのである。 自分がまわりのみんなから切り離され、自分だけが異人種のように思えてくるのである。そして自分が自分の祖先や、親兄弟からも、そして祖先のタマシイからも切り離され、自分の精神を見失った人間のように思えてくるのである。 自分が自分でないように思えてくるのである。だからそれは、この世のなによりも恐ろしいことであって、あってはならないし、見てもならず、意識してもならないことなのである。また、そうすることによって、自分たちの日常というのが安全で安心して繰り返されるのである。自分が自分のままであり続けることができるのである。だから、それはのぞいてはならないことなのである。 |