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5、信仰。


しかしまた、こうしたことのすべての根源には、自分たちが「信じるもの」、すなわち、宗教や信仰といったものが大きくかかわっている。明示的な、それとわかる信仰などではなくて、無意識の潜在的で暗示的な、そしてその実体が自分でもハッキリわからない、そうした「信じるもの」、もしくは信仰がそうなのである。

フツーの意味での宗教というよりも、むしろ、身体の生理作用とそのリズムとしての情緒とでもいったものなのである。数百数千年を経て形成されてきた、自己の身体だけが覚えている馴れや習性とでもいった、そうした生理と神経作用の固有の特質とでもいったものなのである。

無意識のシツケや常識の習慣といったものがそうなのである。文化と歴史がそうなのである。それは自分でもどうにもならないものなのである。これは、自分たちの祖先が生きてきた環境や条件と歴史からきているのである。

そして、そうしたことが自分の身体の中で生きていて、そしてこれが自分をして、自分自身の生きた情緒の特質や、気質と気性の固有の特徴として現れ出てきているのである。


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