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6、たましい。


そして、そうしたことが自分をして、そうした祖先の無意識の潜在的で暗示的な世界へと、自分を引きずり込んでゆくのである。そしてこれが、自分たちのタマシイとか、あるいは信じるもの、そしてさらに信仰や宗教へと、そのすがたカタチを変えて現れ出てきているのである。

そしてそうしたことが、現在を生きる私たちを何か得体の知れない、不可解で、不思議で理解不可能な、暗示的で潜在的な無意識の世界へといざなってゆくのである。かなたの霧の奧から呼び覚ましにくるのである。

そしてまた、そうしたことが自分たちの生き方や考え方、習慣や常識の根底にあるのである。それ以外の者になれないという意味で、そうなのである。そしてそれに支配され、拘束され、いざなわれ、導かれてゆくのである。


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