index< 日誌 < am種 < 19-43「観念の世界18,続、可能性」p6- |
すなわち、これを自分たちの拠りどころ、精神の支え、タマシイの宿るところとしてきたのである。そしてまた、それができたのは実のところ、それが自分にしかない、自分の中の自分自身の根源的な可能性に基づいていたからなのである。そうして始めてそれが、自分のものとなったからに他ならないからである。 また、もしもそうでなかったなら、民族としても国民としても存在しないし、認められもしない、主権のない民族集団になるしかなかったのである。自分では何もできない、いつもどこかの他国にすがって生きて行く、そうした自分の存在というのを持たない者になっていただろう、ということである。 つまり、自分たちの歴史も存在も持たなかったであろう、ということである。そして、これがそうではないということ自体が、それが自分自身の自らの根源的な可能性に基づいたものであったとしか、言いようがないのである。 |