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5、未知との遭遇。


たとえば、歴史上の近代(およそ16世紀〜)に、不意に遭遇した東アジア世界がそうであった。それ以外に選択の余地がなかったのである。またそうやって「滅ぶ」ことによって、自らを新たに近代化していったのである。近代化して行くことが出来たのである。

これを、日本について見ると、島国であるということが、日本という世界を特殊なものにしていたのである。周囲を海が取り囲み、そして日本自体がそれだけで比較的大きな国力を有していたということが、独自で固有な歴史と生活習慣を生み出してきたのである。

こうした事情が「適応」というのを独自で固有な、そして組織的で計画的な、全国民的な運動へと方向転換するのを可能にしてきたのである。

そうしたことは、日本の歴史に見ることができる。「大化の改新」がそうであったし、明治維新、そして終戦直後の日本がそうであったし、そして今日のグローバル化された日本の社会がそうなのである。そうやって自分で自分を変異させ、そして新たな自分というのを見い出してきたのであって、そしてこれを、自分たちの歴史としてきたのである。


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