index< 日誌 < am種 < 19-45「観念の世界20,信じるもの」p8- |
それは例えば、農耕民にとっての水や太陽であり、あるいは親と子の関係がそうである。現代風に言えば、下請けと元請けの関係がそうであり、ケイレツがそうなのである。 要するに、何が言いたいのかというと、こうした「信じる」ということが出来なくなると、人間社会というのが破壊されてしまう、ということなのである。法律も、約束も、習慣も、習わしも、人間社会そのものが成り立たなくなる、ということなのである。 だからそれを、「信じなければならない」のである。たとえそれがウソでも、まやかしでも、あるいは誤解や悪意であろうとも、そんなことには関係なく、どうあってもそれだけは、何としても絶対的に「信じなければならない」ものなのである。 |