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7、すがた。


しかし、それの基になったものは何か。それが反射して映し出したもともとの世界とは、いったい何なのだろうか? 自分自身は、この「もともとの世界」が反射して映しだした姿(すがた)に過ぎないのである。

主体も当事者も存在しない、それらが区別されて出てくる以前の世界である。理性や論理や観念はおろか、それらの出発点となる、意識や現実そのものが存在しない世界である。

存在とは、制約であり条件なのであるが、そうした「感覚の遊び」を制約するものが何もない世界なのである。また、制約が何もないから、感覚は、永遠に遊びをくり返し続けるのである。 それが無意識であり、下地であり、背景であり続けることができるのである。


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