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5、問い。


このようにして、自分が自分に対する良心も責任も曖昧で、ボンヤリしたままなのである。それが出来るし、許されるし、そしてそれが正しいと信じて疑わないのである。そうして自分が見えず、感じられず、自分が消えて失われて行くのである。

しかしまた、だからこそ、どうしても、どんなことをしても、自分を確かめずにはいられないのである。こうした自分に出来ること、すなわち、自分にとって他者の、自分以外の外の世界の上下の関係の中で、自分を見い出すのである。そうするしかないのである。自分に出来ることと言えば、それしかないのである。そして、これが自分にとっての正義なのである。

自分が消えて失われている以上、何も恥じることがなく、恐れることもなく、何をやってもよいし、どんなことでも出来るし、やってのけるのである。それは、だれも見ていないし、気づかないところでは、何をやっても良いし、どんなことでもするのと同じである。

だからまた、自分で自分を問い省(かえり)みるといった自意識、ないし、自己意識といったものが、いつまでたっても抜け落ちたままなのである。


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