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そうした社会では、自分というのが、集団から離れた個人であってはならない存在なのである。だからまた、自分というのがいつまでたっても見えてこないのである。それは見えても気づいても、知ってもならない、そうした社会なのである。また、そうである限り、自分が自分に気づくといったこともないのである。 それどころか、そうしたことが、このような社会にあっては必然であり、なくてはならない必須の条件となっているのである。そしてまた、そうやって世の中というのが争いも、いさかいもなく、うまくまとまって動いているのである。 波風を立てる者、集団の秩序に疑いを抱く者が居ては困るのである。だからまたそれは、必然なのであり、自分たちが生きて行く上での必須の条件にもなっているのである。しかしまた、そうである限り、自分というのは、いつまでたっても見えてこないのである。 本当の自分、真実の可能性としての自分は、意識されることがないのである。そして、このような世界にあっては、それは意識されてはならないことなのである。自分で自分に悩み苦しむ、といったことがない世界なのである。 |