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そしてそれへと、遅れた者としての少数者や異質な者を導き、押し上げてゆく者として自分を見ていて、またそう感じているのである。それが自分の使命や立場になっているのである。 まことに迷惑な話しで、要するに、自分は大して偉くはないのであるが、それでもなんとか「下の者」を守ってやっているのだという、そうした自分が与えられているのである。そうした立場と自意識を保証されているのである。そうした保証があって始めて成り立つ考え方と生き方なのである。 これはどのように考えても偽善である。これは、国家の国民という自分の保証された立場に基づいたものであって、そうした理性的で合理的な考え方が根本にあるのである。 しかし、これは誤解ではないだろうか。錯覚であり幻想ではないだろうか。私たちが数百年生きてきた現実という世界が、近代という囲いの中の世界であって、その中から見ている限り何も見えてこないのである。 |