index< 日誌 < at自己意識< 19-56「同一性U-歴史。」p4- |
感じられる・意識される・知られるなどといったことは、自分のなかで、自分の感覚を通してそう感じているのであって、そして、この感覚自体は、自分自身の肉体の機能としてそうなのである。自分自身の身体内部の生理や自律した神経作用の結果として、そうなのである。 そして、これをもって意識されるとか、感じられるとか、あるいは納得するとか、理解できるなどと言っているのである。要するに、自分自身の身体作用の結果として、それが意識されているのであって、そして空想もまたそうなのである。 そして、そうしたことが自分にも意識され、知られてくるだけでなく、嘆き苦しみ、または楽しみや喜びといったもの、あるいはまた、心地よい気分や雰囲気といった、情緒的で感情的な営みも含めて、そのように感じられているのである。 |