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だからまた、そうしたことが自分のなかで、なにか得体の知れないイメージや象徴の世界を作り上げているのである。自動化され最適化された反射作用の「スイッチ」として機能しているのである。錯綜した偶然の錯覚の、何かしら正体不明の記号や合図、符号として羅列しているのである。 そうした、自分でもコントロールできない、意味不明な、ほとんど忘れられ失われた符号(サイン)の羅列(られつ)が、自分の中で遊びをくり返しているのである。そして、そうしたことのくり返された結果が、無意識の世界でイメージや象徴を作り出しているのである。 あるいはまた、これをもっと直接的に言うと、光の明暗の感覚だけであった「視覚」に、色や模様やカタチの区別と識別をもたらしたのではないだろうか。 色やカタチや音や、それに太陽の光や風、またそれが肌に触れる感触といったものも、そうした自分が持っている感覚のすべてが、実は自分自身の歴史のことを言っているのである。自分が生きている意味や、その理由のことを言い表しているのである。ささやき、つぶやき、そして問いかけているのである。 |