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なんでも良いから、ただ自分を納得させ安心させてくれるものであれば、それが見え透いたウソでも、まやかしでも、白々しい言い訳でもなんでもよいのである。それが世間並みというものであり、フツーであり、シアワセというものなのである。NHKの「朝の連続ドラマ」がそうである。 だれかに教えられて生きるのでもなく、そのまま無為に、今いる所でなんの動機も目的もなく生き続けるのでもなく、反対に、そうした生き方ができなくなったところに、本来の潜在的な可能性としての自分自身が潜んでいるのであって、これが本質的な自分自身の世界なのである。 どうにもならない、救いようのない、すべてが否定された世界の中で、それに反発し、抵抗せざるを得ないところに本来の自分自身の出発点があって、また、その根源ともなっているのである。これが始まりなのである。 |