index< 日誌 < am種< 19-63「続、肉体の記憶」p6- |
人間に寿命があるように、文明や民族についても、やはり寿命があるのである。種としての根源、または民族のタマシイといったものがそうなのである。そうした自律性ないしアイデンティティーといったものを、永い人類の歴史のなかで見ると、やはり、文明の「滅び」や盛衰といったものにも寿命があるのである。 人間が新たな脅威にさらされたときに、それに対応して対抗できる、あるいは、自分自身が変化し得る、潜在的なかくれた未発見の可能性といったものが、自分自身のなかに見つからなかったのである。そうして適応ができなかったのである。 しかしまた、それがないということが、自分自身の本質的なあり方、自分自身そのものなのであり、これが自分というものの存在の自律性であり、理由だったということなのである。もともと自分というのがそのように出来ていた、ということなのである。 これが種としてのオリジナル性なのである。そして限界であり、寿命なのである。自然死なのである。そうして自己を尽くして全(まっと)うするのである。生きている意味や存在の理由を喪失するのである。 |