index< 日誌 < am種< 19-63「続、肉体の記憶」p6- |
それが「ない」というのが、自分自身の存在の本質的なあり方、自分自身そのものであり、それが自分というものの存在の自律性であり、理由だったということなのである。それが「ない」ということが自分の本質だったのである。これを離れたところに、自分というのは存在しないのである。そして、この存在の理由を喪失してしまうのである。 従って、この場合の文明の終わりと滅びというのは、必然的な避けることの出来ない、自然な成り行きであって、それがこの文明の本来のすがただということなのである。それは必然であり、原理なのであり、そして、その文明の本質なのである。 「滅び」もまた、この文明にとっては、自らの存在理由そのものの表現なのである。そうやって自らを現わし、そして消えて行くというのが、こうした文明の存在理由であり、そしてまた、この文明の意味といったものなのである。 |